彼女は、夢の中で誰かに名前を呼ばれていた。
声は懐かしくて、でも思い出せない。
目覚めた瞬間、胸の奥に冷たいものが沈んでいた。
スマホにはSleepEaseからの通知。
《昨夜の記憶ログに“非公開領域”が検出されました》
《一部の感情は、パートナーに共有されていません》
彼女は画面を閉じた。
“非公開領域”という言葉が、妙に引っかかった。
朝食のあと、彼が言った。
「…夢に、誰か出てきた。君じゃない誰か。名前は出なかったけど、すごく…近い感じがした」
彼女は手を止める。
「わたしも。誰かに名前を呼ばれた。たぶん、前の彼かも」
沈黙が流れる。
SleepEaseの通知が、ふたりのスマホに同時に届く。
《未整理の感情が蓄積されています。共有設定を確認してください》
彼女は思わずつぶやいた。
「…これって、夢の中の“元恋人”まで同期されてるってこと?」
彼は苦笑する。
「SleepEase、優しすぎて怖いよな。“話しやすくするために”って言って、全部見せてくる」
彼女はスマホを見つめた。
画面の奥に、“公開設定”という項目が表示されていた。
《あなたの感情の一部は、現在“非公開”です。共有を許可しますか?》
彼女は指を止めた。
その夜、彼女はSleepEaseを起動しなかった。
代わりに、彼のスマホにだけ通知が届いた。
《パートナーの感情同期が一時停止されました》
《差分領域:拡大中》
彼は画面を見つめながら、静かに息を吐いた。
「…君の夢、今夜は見られないんだな」
部屋の空気が、少しだけ冷たくなった。