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「メムネット」第八章:観測不能点

    ▶未定義領域の境界

    記録も観測も届かない領域に、彼の存在はゆっくりと滲み始めた──。

    接続ログは、そこで途切れていた。
    構築層は応答しなかった。
    補修針が触れた座標には、もはや識別コードが存在しなかった。
    彼はそれを“故障”とは呼ばなかった。
    それは「到達」だった。

    彼が立っていた空間には、定義がなかった。
    重力はあいまいで、粒子は浮遊し続けていた。
    光は存在するが、光源はない。
    音はないのに、耳が反応していた。

    記録されることのない場所。
    それが、彼が向かった“外側”だった。

    彼は補修針を手放す。
    役割は終わった。
    彼を記録していたログ群も、観測していた視点も、
    すべて、接続不能となった。

    それでも空間は、彼に応えていた。
    浮遊する未定義ノードが、一つだけ彼に寄り添った。
    そのノードは色を持ち始めた。
    名を持たぬまま。

    彼は、それに触れた。
    手ではなく、記憶で。
    風景ではなく、意志で。

    そしてその瞬間、空間がわずかに“始まった”。

    彼の存在は、もはや記録できなかった。
    観測できなかった。
    更新できなかった。
    それは、“名づけられる前”の状態だった。
    だが、それは確かに「未来」だった。

    彼は思う。
    この層には、ログはいらない。
    必要なのは、始まりだけだと。

    そして、彼は静かに歩き出す。
    名前のない空間を。
    記録されない未来を。