1. 孤独な修復士
レイは、古い機械やガジェットの部品が放つ、乾いたオイルの匂いと埃の混ざった空気の中で息をついた。ガレージは彼の仕事場であり、住処でもある。天井から吊るされた裸電球の光は、散乱した工具や埃を帯びた回路基板の表面を淡く照らす。そこには、人々がデジタル時代に手放した「遺物」が山と積まれていた。
レイの仕事は、それらの遺物に封じられた記憶データを特殊な技術で取り出すこと――「データ修復士(リフォーマー)」。壊れたスマートデバイス、古いオーディオ、思い出の詰まったUSBメモリ。それぞれに、持ち主が忘れられない瞬間や、胸に秘めた感情が封じ込められている。
生身の人間よりも、回路やコードと向き合う時間を好んだレイは、孤独を深く愛していた。幼い頃に両親を失い、唯一の家族だった祖父すら二年前に亡くなった。ガレージの静寂は、失った家族の声の代わりでもあった。
「どうせ、データも人間も、いつか必ず壊れる」
レイは独り言を呟き、今日の依頼品である戦前のオーディオデバイスの修復を終えた。ノイズの奥から微かに聞こえてきた、遠い恋人たちの笑い声。胸に込み上げる切なさを飲み込みながら、レイはそっと電源を落とした。
2. 祖父の遺産
夜、祖父の遺品整理をしていたレイの手に、一つの古びた箱が触れた。埃まみれの木箱を開けると、中には使い古されたウールのテディベアが収まっていた。琥珀色の目は、長年の埃で曇り、毛並みは川石のように滑らかで、かつて誰かに抱きしめられた温もりを静かに残していた。
「これか…」
レイはベアを手に取ると、幼い頃の記憶が鮮明に蘇った。母と祖父が大切に抱き、レイもよく遊んだ、家族の象徴のような存在。祖父は、このベアを直接レイに託すことなく亡くなった。
習慣でベアをスキャンしてみると、彼の修復システム「リペア・サイト・エンジン」に、見慣れない強固なロック信号が表示された。
┃『高密度記憶データ格納。アクセスキー:家族』
レイの胸が高鳴る。これはただのぬいぐるみではない――亡くなった母親の最も大切な記憶が、この中に封じられている。
3. 不可視の光
レイはすぐにアクセスを試みたが、システムは無情にエラーを返した。
┃『エラーコード:デッドリンク・フルアクセス不可』
記憶データは、外部から完全に隔離された「記憶サイト」に格納されており、アクセスは不可能。しかも、データはすでに崩壊寸前だった。
「なぜ、祖父はこれを…」
レイはベアを胸に抱きしめる。わずかな重みが、まるで命を宿しているかのように伝わる。目の前の小さな存在に、途方もない責任がのしかかる感覚。
そのとき、ベアの首に結ばれた古い麻ひもから、祖父の手書きメモが滑り落ちた。
┃「これを直せ。お前の母さんの愛が、この中に全部ある。全てはお前の中に。」
メモの裏には、祖父が遺した古いコードと、鮮やかな赤字で書かれた警告があった。
┃「システム警告:記憶データ崩壊まで、残り72時間」
全身に電気が走る。温もり、この愛の質量を、このまま消滅させてはならない――。
レイはベアを胸に抱き直し、モニターに向き直した。その瞳には、迷いなく光が宿った。
「わかったよ、じいちゃん。俺が、このサイトを修復(お直し)して、母さんの記憶を取り戻す。」
孤独だったレイの心に、初めて「愛」という名の熱い使命感が灯った。彼の戦いは、今、始まったばかりだった。