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「メムネット」第一章:記憶の軋み

    ▶ ハイノロという街

    ノードメンダーが向かったのは、都市の底層にある非合法な記憶層──ハイノロ。

    霞む街灯の下、ノードメンダーは静かに歩いていた。
    靴底が湿った鉄板を叩き、遠くでパルス音のような警報が尾を引く。
    彼の目的地は「ハイノロ」──記憶の裏路地と呼ばれる非合法な層下街。
    都市の構造が乱れたまま幾世代が経ち、もはやそこは旧ページ群のような崩れたデータ片の吹き溜まりだった。

    「おまえの記憶は書き換えられている。今の自分を信じすぎるな。」

    そう言い残して姿を消したロヴァの声が、彼の脳裏に擦れるように反響する。
    かつての仲間──いや、かつて「同じ層構造に属していた」補修士。
    ノードメンダーは、記憶の裂け目に修復の針を差し込む術を学び、今もその“お直し”を静かに請け負い続けている。

    彼は腰のケースから無コード式構築盤を取り出し、指先で軽く叩くと、かつて誰かが貼り付けた都市記録の断片が、薄明かりの中に浮かび上がった。
    それは「メムネット」──都市の共有記憶層。その中に、奇妙な沈黙域が存在していた。

    「記憶の空白は、ただの欠損じゃない。“構造のバグ”だ。どこかで、誰かが設計図を書き直している。」

    ノードメンダーは、リンク構造の裂け目に補修スパイクを差し込み、再編信号を送る。
    次の瞬間、視界がノイズで歪み、かつての都市構造が“旧レイアウト”の姿で再現された。

    そしてその“再構築レイヤ”の深層で、ノードメンダーは出会う。
    都市の補修を詩で語る、機械詩記録体──パッチギアの断片的な囁きに。

    「秩序は 脈打たぬ静けさ
    揺れ動く想いは 腐蝕の芽──
    さあ、お直しを始めようか。」

    この都市では、構造のゆがみも、意匠のほころびも、単なる不具合ではない。
    それらは“語られなかった物語”であり、“忘れられた記憶の詩”なのだ。

    ノードメンダーの仕事は、ページのように折れ曲がった都市の“構築記録”を読み解き、その継ぎ目を静かに縫い直すこと。
    それが、“お直し”と呼ばれた職能の本質だった。